イザヨイにめっちゃ触発されて。
今、書けるだけ、できるかぎり本音で。
でもかなり恥ずかしいね・・・
3年間。・・・正確な数字ではないけれど、3年間。
私が吹奏楽部にいた、所属してた時間。
うちの中学の吹奏楽部に。
長かった、といっていいのか
早かった、といっていいのか
正直分からない。
だって、どっちもだから。
3年間は長くて、でもあっという間だった。
でも、自分が変わるには十分すぎる期間だった気がする。
(成長とはいわないよ。変わった、がはまる。)
1年、2年、3年・・・か。
辛かったし
苦しかったし
悲しかったし
やるせなかったし
情けなかったし
ムカついたし
・・・
でも
音楽やってるときって
楽しかった。
上手く吹けると嬉しかったし
面白かったし、色々と。
色々、って言葉で片付けたくないけどね。
初めて経験したステージは1年の6月だった。
下手くそだっただろうな、あの時は。
緊張した、と思う。
・・・覚えてないや。曲名くらいしか。
あーあ、でもあの時には、
最高に頼れる先輩がいたね。
かっこよかった。これ以上ないくらい憧れた。
もっと吹けるようになりたい、と思った。
・・・そういえば1年の時はまだマウスピースが足りなかったり、
Fシングルで吹いてた時もあったっけ。
大会はダブルで出たけど・・・
あのホルン好きだったなぁ。
って、なんか持って行きたい方向とずれた。
吹奏楽。
大人数。
50人を超える人数でずっとやってきた。
いろいろあったんだなぁ。
・・・なんだか考えがまとまらないや。
信じられないね、もう
このバンドで吹くことはないんだ。
(2日経ったら、だけど。)
ずっと使ってた教室。4階。
テニスコートから声がして
たまに煙草吸ってる先生がいて ・・・あるときは複数。あるときは単数。笑
この町が一望できて
山の方の高校さんも見えたりして
遠くとか海見えちゃうし、半島も見えるし。
反対側いくと
陸上部、サッカー部、野球部、校舎周り走ってる部活・・・etc
チャリ走らせて帰ってく奴。
それから町&山。
ああ、たまに廊下を走って行く柔道部。
のぞいてゆく先生。(顧問だけじゃなかったなぁ・・・
メトロノームの音。
教室に反響する、自分のパートの音。
個人練習の時もパー練の時も。
そうそう、廊下だと各パートの音ちゃんと聞こえるんだよね。
あの教室ともお別れ、だね。
爆睡もしたし。
パートほとんど居眠り、とかやったっけ。
あの先輩はずっと吹いてたけど・・・尊敬します。
理科室とか使った時もあったか。
水漏れの件はほんとにビックリだったなー。
金魚全滅事件とか、みんな覚えてるかな・・・
何気にパソコン室とか図書室にも思い出があるね。
そして3階のあの教室で吹いた時もあったんだよな。
パートレッスンで使った。
なんだ。
まだまだ思い出せる。
たくさん、覚えてる。
マッピ洗って、バズィングして音階吹いて
ロングトーンやって、リップスラーして
気が向いたらインターバルとか、音高くて調子良い時にしか吹けないのとか、
そういえば高い音でるようになったな
1年のときなんか高いドあたりで精一杯だったなんて。
今じゃ調子が良ければその上の1オクターブがでるようになった。
実感できるね、自分がホルン吹いてた時間。
和音練習は・・・3年になってからよくやったかな。
チューニング。
困った。あれはほんとうに困った。
口の形とか。手の出し入れとか。口の中の広さとか。アンブシュア。
困ったと言えば、変なクセ!
後膨れは結局治ってないし・・・笑
で、合奏になったらなったで大変だったな。
ほんっとにみんなウケるんだから!
爆笑ハプニング連発。
それと同じくらい・・・訂正、それ以上に多かった先生の怒り。笑
今なら笑えるけど、当時はもう必死だったね。
あーほんとに、話の軌道がまとまらない。
いろいろ、頭の中で思い出したり、考えを巡らせたりすると
ほんとにたくさん出てくるんだ。
この部活で過ごした時間。
吹いた曲、音。
涙でそうになるくらい感動した。
あの、吸い込まれてった音、はねかえり、覚えてるよ。
真っ暗になるまで合奏(レッスンか。)を続けたのも、覚えてる。
全部、細かいところまで覚えてるワケじゃないけど。
でも、ちゃんと分かるよ。
なんて表したら良いんだろう。
この気持ちも、思い出も、何もかも。
ああ、ひょっとして
言葉にするってこと自体が間違ってるのかも。
だってこれは、音楽じゃん。
私の中に刻まれてるのは、音楽。
3年間の大切な大切な思い出は、
吹奏楽っていうものがなければ、ありえないもの。
苦しくって何度も投げ出したくなったけど
でも逃げたくなかったし、
逃げられなかったし、
それ以前にやっぱり楽しかったし、
面白かったし、
それまでの自分になかったものをたくさんたくさん、
測れないくらいたくさんくれた。
一緒に音楽をやる、仲間、先輩、後輩、指揮者(顧問)、副顧問、
教えに来てくれた先生、支えてくれる家族とかたくさんの人・・・
みんないた。
みんないたからだよね。
夏のあつい練習。
厳しい指導。
何度も同じトコ繰り返しても、
何回怒られても、
隠れて泣いても、
部活停止になったりしても、
ほんとに大会出られないんじゃないかと思っても、
楽譜取られても、
めげそうになってくじけそうになって、もう嫌だと心の底から思っても、
乗り越えた。
乗り越えられた。
で、今
私はここにいるわけです。
今の状態の、私が。
吹奏楽っていうものを教えてくれて、
鬼だったり、当たりはずれの激しいギャグとばしたり、変態だったり、
ほんとにまったくワケの分からない・・・? 指揮者
笑って泣いて、恨みもして、でもいつも必ず周りにいた、
個性が溢れすぎてる仲間
夏は戦場と化した(?)
でも忘れられない、素晴らしい響きがいつも生まれてた音楽室
そして体育館
この楽器への愛着を更に強くしてくれた、
根気強く何度も教えてくれた、楽器の相談とかも乗ってくれたレッスンの先生方
・・・・レッスン受けるごとに上手くなったような気がして嬉しかったな
あと、某大御所様!!!
それから家族とか父母会の方々や他校の生徒さん、その他諸々・・・・・・
そしてなにより、吹奏楽というそのものに
お世話になりました。
ありがとうございました。
この思い出とか、音楽とか・・・を忘れてしまっても、思い出せなくなっても
私というもののどこかに絶対刻み込まれてると信じたい。
なくしたくない。
そりゃね、ものごとにはかならず終わりが来るって、
誰にでも分かることだけどね
でも
自分の中で持続させる、ってことなら、
なんだかできる気がするんだけど。
・・・だんだん意味が分からなくなってきた。
ちょっと時間かけすぎたかな。
ま、いっか。
こんなもんです。ね。
だいすき。
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